歌舞伎界の巨星二つ、中村勘三郎さんと市川團十郎さん

2012年11月末、京都南座の顔見世の初日、夜の部の開演までの時間つぶしに四条の甘味処でおまんじゅうを食べながら友人と中村勘三郎さんの噂話をしていました。
2012年の顔見世は中村勘九郎さんの襲名披露公演だったのですが、お父さんの勘三郎さんは病床にあったので出演しておられなかったのでした。
週刊誌などで肺の病気だという報道はあったものの、素人にはよくわからない病状でした。

その時の襲名披露口上では、市川團十郎さんが勘三郎さんとの若いころの逸話などを面白おかしく述べられたのでした。
この時、市川團十郎さんは船弁慶の弁慶を務められて、成田屋らしい力強い演技を見せておられたのです。

その年の12月5日、中村勘三郎さんが亡くなられました。
その後の南座の公演で勘九郎さんが見せた涙々の口上が、テレビのワイドショーで何度も何度も取り上げられて大きな話題になりました。

そして12月18日、今度は市川團十郎さんが風邪のために休演されたのでした。
それから2か月もしないうちに團十郎さんも亡くなってしまいました。
結局、南座の舞台が最後の舞台になったのです。

中村勘三郎は中村屋で最も大きな名跡で当主にあたる立場でした。
中村屋は、江戸時代に江戸三座(幕府から興行を許可された芝居小屋)と呼ばれた中村座・市村座・森田座のうち「中村座」がそのまま屋号になった、非常に由緒のある屋号です。

また、成田屋は歌舞伎界で最も古く、江戸時代から代々スーパースターを生み出してきた家系です。
團十郎に睨まれたら、その一年は無病息災だとまでいわれ、歌舞伎界では別格の名門です。
もちろん團十郎はその頂点に立つ大名跡です。

成田屋市川團十郎と中村屋中村勘三郎という歌舞伎界の双璧ともいえる大名跡二人が、時を違えずして他界されたのですから、なんだか少し空虚な感じがする年末でした。

(ライター : n.m

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