「着物が似合う・似合わない」とは
当代の二代目中村吉右衛門さんは著書「物語り」の中で、若い頃、あるベテランの役者さんから「着物が似合わない」と言われた、と書いておられます。歌舞伎の家に生まれ育った人は誰でも最初から着物の着こなしが上手であるかのように思ってしまいますが、実はそうでもないようです。
役者さんでも着物に苦労する
男性の場合はある程度お腹が出てこないと着物姿がしっくりこないようです。現に吉右衛門さんの若い頃は、体が大きくて胴が細く手足が長いという体型だったので、少し動いただけで着崩れして帯が上がってしまっていたといいます。
しかし洋服で歌舞伎はできないので、着物が似合うようにならなければ商売になりません。そこで、日常生活まですべて着物で通して着慣れることにしたのだそうです。現在ではもちろん、当時でももう東京では男性で街なかを着物姿で歩く人はほとんどなく、ジロジロ見られたり噺家さんに間違えられたりしたといいますから、さぞ目立って大変だったのではないでしょうか。
しかし、そのようにして常に着ているうちに、何年もかけてだんだん着物体型に変わってきたといいます。帯だとベルトで締めているよりもルーズだからか、お腹が出てきます。さらに、しょっちゅう着ていることで裾捌きもスムーズになり、自然に着崩れもなくなってきたのだそうです。
やはり私たち一般人に限らず歌舞伎俳優さんにとっても、着物が似合うようになるには着慣れることが一番の近道のようです。
「似合う・似合わない」に体型は関係ない
しかし一方で吉右衛門さんは、「体型は着物を本当に身につくように着るということとは関係ないと思う」ともおっしゃっています。
一般的に、歌舞伎でずんぐりした体型の人はどちらかというと三枚目系の役者さんで、二枚目系の人はスラッとしていて顔立ちもはっきりしています。現に十五代市村羽左衛門さんなどは、背はそれほど高くはないけれども顔が小さくて手足が長い役者さんでした。しかし、それで着物が似合わなかったかというとそんなことはなく、むしろスラッとしていて素敵なのです。
着物の似合う・似合わないは、体型や容姿の問題ではないのかもしれません。
昔の役者さんの着物姿が素敵である理由
昔の役者さんの着物姿がとてもしっくりきていて似合うと感じるのは、もちろん日常的に着物を着ていたからというのもあるのでしょうが、もう一つには、当時の衣裳はほぼ全員が自前だった(持ち主は座頭で、どれだけ衣裳を持っているかで評価が左右することもあったとか)ということもあるのではないかと思います。自前だから当然体によくフィットするし、衣裳の着方も今のように武張らず、普段の着物のようにきっちり着たり、衿幅の寸法なども自由に変えていたりしたそうです。
現在の舞台衣裳はみな衣裳屋さんの衣裳です。寸法がその都度着る役者さんに合わせて作られているといっても、やはり自分の着物ではないから完全にしっくりとはいかないのでしょう。
着物が似合うようにはなったけれど…
ちなみに、吉右衛門さん曰く、「昔は着物が似合わなくて苦労したけれども、体型が変わったら今度は洋服のほうが似合わなくなってきてしまった」とのことです。